今日のセッションを終わり、また深い感動と共に不思議な感覚を覚えました。

クライアントとのセッションがどういう内容だったか、というのは言うまでもなく守秘義務のあることですから、公にすべきことではありませんが、クライアントによっては、あるいは内容によっては、皆様にお伝えしたいというものや、公にすることで、何かのお役に立つのではないかと思われる内容も少なくありません。また、時にはそうして欲しいと望まれることもあります。今回のものはクライアントの積極的な同意と共に、内容から、皆様にお読みいただきたいと思います。それで、今、静まり返った夜のとばりの中で、一人、事務所でパソコンの前に座り、キィを打つことに致します。

今日は朝、十時からセッションがありました。

今日のクライアントはBさんで、彼女は今日が仕事が休みの日なのです。たまたま25日、クリスマスです。
今回でセッションは3回目。彼女は爽には時折、顔を見せてくれますが、ヒプノのセッションは前回から
1年半以上経っておりますので、久しぶりです。

今回のテーマを決めようとした時、彼女の口からしっかりと、「自分の核となる部分、自分の原点を見たい」という発想がセラピストの私に伝えられました。もうすでに決めてこられたのでしょう。

彼女の前世を中心に伝えられたものはとてもショッキングなものでした。
内容的には初めて聞かされたものではなく、口を代え、言葉を換え、同じようなことを伝えられては来たのですが、今日は決定的に近いインパクトを与えられました。

この内容はテープ起こしをして、なるべく早く、体験記のページにアップする予定ですが、今日のうちにそのエッセンスだけ、少しご報告させたいただきたいと思います。

彼女の見たもの、つまりBさんの「核、原点」となるものに焦点を当てた前世は2000年前の一シーンから幕を開けました。人間、イエスキリストが取り乱しているシーンから始まったのです。

彼女の口からゆっくりと発せられた言葉は次のようなものでした。

・・・誰かがこっちに来るから逃げろとか・・・そういう話しをしているシーンです。
まだ、私が小さくて、(イエスが)ヨセフに私を連れて逃げてくれ・・・と言っています。
石で出来た廊下があって、いくつも部屋が分かれている薄暗い所、皆が一緒に生活しているところ。
私は5,6才の男の子です。 イエスは自分の身に危険が迫っているのに、自分のことより、他の人のことをすごく心配しています。

みんながイエスを助けようとして一緒に逃げるように話しているけれど、それは出来ないとイエスは言っている。それは自分が生まれたときからの運命だからそれは出来ないと言っている・・・。

このような場面から始まった内容は、これから約2時間余りのうちに、実在した人間イエスの姿を細部に渡って描くようなものでした。

場面にはイエス、マリア、ヨセフ、マリアの親友の女性、それに小さな男の子(Bさん)の5人がおりました。
この5人は多くの時間を共に過ごし、お互い家族のような関係だったようで、そこではイエスも気を許していたようです。一緒にいたこの小さな男の子はイエスにとても可愛がられていたようです。 (このBさんは普段からイエス様のことをイッちゃん、マリア様のことをマッちゃんと呼んでおられ、私など、大分前にこの言葉を耳にしたときは、誰のことを称しているのか分かりませんでしたので、誰のことを指しているのかが分かったときは、ちょっとドッキリしました。)

このセッションの真実性、信憑性に関しましては、正直言って、どう考えるべきか、まだ分かりません。
聖書も小さい頃から家にあったのですが、中学生の頃、始めの辺りを読んだり、パラパラとページをめくっただけという程度ですし、他でも書きましたように、チャンスはいくともありましたが、なかなかキリスト教を知るまでには至らず、今もってイエスの近くに子供がいたのか、マリアの近くにそんなに親しい女性が居たのか、さっぱり知りません。

以前にもこういった内容の信憑性について自分の見解を述べました。そこで、私は当時の結論として、信じることが妥当だろうというところでした。多くの人が同じ幻想を見た、あるいは同じようなことを想像してイメージ化したと思うのにもちょっと無理があるでしょう。(これに関しましては、催眠療法の13,4の理論を、今詳しく勉強中ですので、その中からどう考えるべきかを少しずつ見つけていきたいと思っています。)

実際、爽ではもう何年にも渡り、何十人というクライアントがイエスと共にいた時代を見ています。その中には私の知る限り、キリスト教信者は、私を含めて一人もおりません。
しかし、内容的に見ると、その中には多くの共通点が多く見られます。

例えば、私がそこに居て、しかもイエスにごく近いところに生活していたらしいこともその一つです。
イエスと話をしているところやヒーリングをしているところ、食事をしているところ、またマリアと親かったこと、などをいろいろな人が違った形で伝えてきました。 でも、そんな時、感じることは「まさか、ウソでしょ・・・」との思いしかありませんでした。 畏れ多くて「わたくしなどが・・・そんなわけないじゃないですか・・」としか当然思えません。こんなちっぽけで、取るに足らない私がそんな人物である訳がないじゃないの、と心の中でつぶやくのです。

これを読んでくださっている読者だってそう思うに違いありません。信じていたら、逆にちょっと・・・と私なら思うかもしれません。

でもイエスのメッセージに拠りますと、その思いこそが、実は私がこれからやるべき仕事を遅くしている原因なのだそうです。

今日のセッションの間には、折々にイエスが、クライアントを中心に誘導しているはずのセラピストの私に向かって、いろいろな言葉を伝えてきました。私しか知らないはずなのに、と思えることもクライアントの口から伝えられることを耳にすることもありました。こういうことをどう理解したら良いのかを含めて、 イエスのその時のことを理解するためにもこれからも勉強をつづけていきたいと思います。

そして、これから少しずつ、人間イエスのありようを皆様にお伝えできるようにしたいと思います。