近頃、エネルギーヒーリング及び、催眠療法の双方の質が進化しているのを実感します。その中で、今日は催眠療法から派生してきたこと、現在の時点までに理解されてきたことについて少し書きたいと思います。

このホームページを少しだけご覧になった一般の方、特にあまりスピリチュアルな考え方に接したことのなり方たちにとって爽が宗教がかっているように映ることがあるようです。これも無理ないことでして、催眠療法の体験記などの中にキリストやキリスト意識ですとか、マリアとかという固有名詞が出てきますと、もしかするとキリスト教の何かに関係があるのではと思われるのも当然なことでしょう。                

しかし、爽にクライアントとしてお出でいただいたり、ワークショップの参加されるとお分かりになるように全く、私達に宗教色はありません―少なくとも私達は何を信じているとか、誰に帰依しているとかというのは全くありません。私自身、亡くなったら多分、戒名などと共に、普通のお墓に入るのだろう・・・程度にしか考えてない、平均的な日本人を自認しています。

「それにしては、キリストと言う固有名詞がよくでてきますけど・・・」という疑問をもたれるかもしれません。
それはおそらくこの分野が西洋文化の中で発達してきたものを主に情報源としているために、ある特定の高い波動の意識次元をキリスト意識と命名したからでしょう。イエス・キリストを代表とする個の意識が分割したのが、この次元だからです。

その高次の意識の持つ特性がその後の人間の考え方、生き方に大きな影響を与え、時空・・・時代と文化、文明が織り成される中で、いろいろな形になって人と共に織り込まれていきました。そのプロセスの中で、「キリスト」という言葉自体も様々な響きや副産物的ば意味合いをも持つようになりました。

一方、催眠という言葉も同じように、ある意味、手垢(てあか)のついた言葉であります。時の流れの中で、いろいろな人の手を経るうちに本質の上にいろいろな垢がついて、中身がよく見えにくくなっています。しかし、最近になって、精神的なものやスピリチュアルなものに関心が高まって、興味本位で取り扱われた催眠が、心理療法として治療目的、癒しを目的とするものだという認識も広まってきたのはうれしい事です。

ご承知のように、「催眠は眠りを催す(もよおす)ことではありません」。

誰もが知っているように、人は「心」と「身体」という二つの機能側面があって、二つの側面を同時に両面の最大限まで働かせていることはあまりありません。
例えば、 身体を最大限まで活動させているときは、心は身体と同じようなレベルで機能することはできません。これは100メートル走を全速力でしているときに、数学の問題を解こうとか、百人一首の持つ情感を理解しようとするのは無理だというようなことです。難しい問題を解こうとしたり、小説の言わんとすることを読み取ろうとしたら、静かに座して考えたりすることが必要なのは、皆、体験上、分かると思います。

そのように心や意識の活動を活発にしたいと思ったら、身体の機能の活動を休ませて、心に焦点を当てると、心や意識がよく見えてきます。例えば、心に注意を行かせたくないときは、逆に身体を動かせば良いということです。失意の時や傷心しているとき、わざと忙しくして忘れようとするのもご存知でしょう。

つまり、 催眠は身体の活動を最小限にして、心や意識の側面を人の活動の主な側面にすることです。        
身体の動きや反応を小さくして、注意を心に持っていくことです。「心や意識の深い部分としっかり対面する」することを可能にするのが「催眠」です。

別の見方をしてみましょう。
人の心、意識は波動である、という見方も出来ます。「人の心の活動や意識の動きは波動の動き」でということも出来ます。心や意識は常に変化しており、光や粒のゆらぎとして動いています。これは内側から認識できるものもあれば、出来ないものもあります。つまり、心の動きとして自分で自覚できるものも出来ないものも含んでいます。自分の心の動きに常に注目していると、少しずつ、どう心や意識が変化しているかを分かるようにもなります。どういう時にどんな変化をするのか、どういう言葉や刺激に自分の心が動くのかも自覚できるようになっていきます。

それでは外側からは認識できるか、他人から人の心は分かるのか、というと、ある程度は観察が可能です。身体や表情に表れた変化ではなく、心そのもの、波動そのものの動きが分かるのか、ということです。身体的に、物理的に黙っていても、動かなくても心や意識の変化が分かるのか、というとそれはある程度、可能です。私たちは誰でも基本的に波動を感じられる感性を皆が持っているからです。しかし、現代人はその波動の認識力が退化してきているので、感性の鋭敏な人やトレーニングを受けて初めて分かるようになるのが普通です。

この波動の中には細かいものから、荒い波動まで、いろいろな領域があります。つまり、心はいろいろな波動が混じったもので出来ているのです。そしてその波動の中にはいろいろな情報が入っています。その情報の中には、自分で意識の中に「ある」[存在する」「感じる」と認識されるものと、全く、普通は認識されないものもあります。時折、なんとなく「そんな気がする」「ちらっと意識に上って、またすぐ消える」「直感として浮かんでくる」ようなものもあります。

その中でも一番認識可能なのが顕在意識と一般に称される波動領域で、多くの時間を私達はこの波動領域に繋って生きていきます。

「自分はこういう人間である・・・これこれこういう考え方をし、感じ方をし、人格を持ち、価値観を持って生きてきている・・・私はこういう人間である・・・」と分かる波動領域に焦点を合わせていろいろな精神活動、意識活動をしていきます。しかし、実はこれらの波動もさらに細かい領域と混じっているのです。いろいろな波動が浸潤している中で、肉体と繋がりやすい波動に焦点を当てながら意識活動がなされているので、他の影響も受けながらも受けていることを感じないで活動を続けています。

もっと細かい波動領域はいわば心理用語で潜在意識と言われている領域があります。

この領域の中は普段、影響を受けながらも意識に上がってこないので、存在していることを全く知らないで生きています。そこには個人としての魂のいろいろなデータが入っています。魂の永い歴史が情報として書き込まれています。何十回、何百回と転生を繰り返しながら進化していく魂のファイルとでも言いましょうか。

ここに繋がると視野の届く範囲が今までと比較にならないほど、広がります。

パッと大きな展望が目の前に広がって見えます。今まで、「節穴(ふしあな)」から覗いていたのだと実感します。「今世」という非常に限られた節穴から、大きな深い世界を覗いていたのだということを、知性と感性の両方から認識できます。視野の広がりで、見えなかったものが見え、見えていたものも違って見えるようになります。知性を通して、人生の見方や生き方、価値観が影響を受け、再構築がなされます。感性を通して、人間の理屈や理解力を超えた大きな癒しが起こってきます。

しかし、もっとその先、上があります。

さらに細かい波動領域はもっともっと無限ではないかと思われるほどの深さと広がりを持つ領域があるのです。ここは、個人の意識を超えた、もっともっと広大無辺な世界です。どんなに深くて広いのか、人間の限られた感性や知性ではうかがい知れない世界です。
よくテレビなどで、自分が地球上に生きていて、人工衛星がその周りを巡回している・・・などというのを見ます。「なるほどねぇ・・・」などと思いながら。とりあえず、ここら辺はついてけます。しかし、ことが銀河系、や宇宙、それも宇宙は成長しつづけており、その宇宙も実は沢山あって・・・などに及びますとなんだか、困惑に似たものをかんじてしまいます。どうも自分の理解能力を超えているような感じがしてきます。
それと同じで、心の中には宇宙があって云々・・・とお聞きになったら、読者はお困りになるかもしれません。が、でも、そうなのです。

心の中には普遍意識、自然の大元、宇宙全体の波動に共振可能な波動を誰もが持っている・・・のはどうも本当のようです。 

実際、これは体験可能なことでした。ヒプノセラピーが進化すると・・・セラピストとクライアントの双方の共同作業で可能になるのですが、普遍意識とか超意識と称されるものとつながるとそれは素晴らしい世界が広がっているのを体験出来ます。そして、ここが大切なのですが、同時にそれは大きな癒しの世界でもあるということです。「癒し」とは自分を知ることでもあります。自分とは何者なのか・・・世界、自然、宇宙、存在のすべてと自分との関係を知ることです。すると、心の中に深い安堵と安寧が生じてきます。やっと魂の安住の地を得たという感じす。それまで漠然と抱えていた不安、何か分からないものから身を守らなくてはというような強迫観念、自分自身への価値観、存在理由の不確定さ、自分でない者になろうとする無駄な労力、などがなんとなく消えていく。何も怖れなくても良いのだ、とはっきりでないにせよ、分かってくる。そして、いつか、これがしっかりとした不動の信念となっていくことを期待しているのです。 

自然、宇宙には秩序があります。理路整然とした秩序であり、まさに真、善、美なのです。理屈や人間の小さな論理をも含みながら、これらを超えて感性でしか分からない・・・少なくとも私個人の知識や能力では説明不可能な・・・素晴らしい「愛」を基盤にした秩序なのです。