それでは始めましょう。

愛についてです。

愛は常にぬくもりを伝え、運びます。

ぬくもりはいつも愛と共にその人に必要な安寧と慰みを伝えます。

それは誰にとっても必要で、しかも快適なものを運んでくれます。

さて、私が今日運びたいぬくもりは何か。 それは常にあなたの求めているもの、健康です。

 

健康は、地上のどなたにとっても大切で、望まれるところであることは私も百も承知です。

しかし、時にはそれが与えられないこともあります。

それは試練のためであり、あなたが望んだものであるからに他なりません。

あなたがもし、生きている間中、ピカピカの健康に望まれていたとしましょう。

果たして、その健康である状態を感謝することができるでしょうか。

 

健康は失ってみて初めてその価値を実感できるように、健康をうしなうことも時には必要なことなのです。

 

ただ、その程度が問題であるには違いありません。

命を失ったり、失うに近い状態、あるいは日常に支障をきたす様な失い方はなるべく避けたいと思うのは人情でありましょう。が、

それを好んで望む人も多くおられます。

 

それは何故か?

それは失うことによって、得られるものが非常に多いからに他なりません。

 

皆、病気になると、まず考えるのは日常性が失われ、普通可能なことが不可能になることを恐れます。

そして、その裏にあるそれによって得られることは全く無視されるのが普通です。

二元性の世界では、一元だけが起こってくるのはありえないことですのに、それを見ないか、見るのがいやなのか、見ても見ない

ふりしています。

失うものがあるということは、得るものがあるということなのに、得るものには目を覆い隠し、失うものだけに大きく目を見開き、「怖い、

怖い」と感じてしまうのは、とても残念なことです。

 

病から得られるものは、それでは、一体何なのでしょう。

 

まず、非日常性の獲得です。

日常の中に埋没して見えなくなっている貴重なものに陽が当り、それが目に入ってきます。

第二に、それが見えることによって、今まで自分が手にしなかったものが手に入ってきます。

そして、それが手に入ってきたことにより、それまでの自分に大きな変化が生じます。

この変化はそれなしでは生じ得ない性質のものです。

 

例えば、今、誰もが恐れている「がん」について、言及致しましょう。

「がん」は、一旦かかると、もう死刑宣告でも受けたかのように感じる人もまだ多いかと思われますが、前にも申しましたように、

死は一つのドアを潜り抜けるだけのもので、本当はかえって好ましい移行であるのにもかかわらず、地上の生活にどっぷりはまった

人間にとっては、その変化は耐えられない程の「予想の怖れ」を抱かせます。

 

つまり、まだ起こっても居ないことに対して、ジワジワ怖れを感じ、それによって大きな精神的、感情的不安定さを感じざるを得なく

なってきます。

これはとてもつらいことであるには違いありません。

 

しかし、この怖さ、未来への不安、そして、現在の状態への痛み、苦しみが、どうあなたの魂や身体に影響を与えるのかを少しずつ

実体験していく時、それまれに得ることのなかった「会得するもの」が与えられてきます。

それは今まで、自分の中にあるとは思えなかった程の恐怖であり、不安であり、まるで土深く埋まっていた土魂のように黒い得体の

知れないものでしょう。

 

この得体の知れなかったものを手にすることで、あなたはこれによって自分が大きく変化するのを感じます。

これはまさに自分が体験したことのない程、生き方を変化させ、周りから感じるものへの観方や価値観の変化を生じさせます。

それはこういった方法以外にはなし得ない程の変化です。

 

これが、「会得された」ものです。

これが、失ったことによって得られるものです。

しかし、多くの場合、病は癒え、そして会得されたものはしっかりと残って、その後の人生に大きくプラス効果を与えるはずです。

 

よしんば、病が癒えないとしても・・・そうです、今は「がん」の話をしているのですから、この可能性は他の病よりずっと高いの

でしょう・・・それは大きなものをもたらします。

 

死はドアを通り抜けるようなもので、あなたはあなたであり続け、あなたが得たものは失うことなく当然、そこに有り続けますから、

あなたにとって病が癒えなくとも、それは会得したものには違いないのです。

 

命が失われた?・・・そうです。命はとても大切なもの、地上でのチケットですから、チケットが失効されたということですから、

大変残念なことではあります。

が、しかし、前にも述べたように、人を分かつものは本当は何一つないということを考えれば、命を失っても「会得すべきものを

得る」方を選択する人がいても決して不思議なことではないのです。

 

本人の魂は自分が選択したことに不満は無いはずです。表層だけが苦しみ、あせり、怒るだけです。

それも、悠久の時の流れからしたら、ほんの一瞬の出来事でしかありません。

 

すべて、何も怖れるに足らないことなのです。

それを知らしめていただきたいのです。

「汝、怖れる勿れ」なのです。

未来は常に輝いているのです。

怖れることは何一つないのです。

神は共におられ、すべては愛から生じ、愛に戻るだけなのです。

 

あなたがそれを怖れる人に伝えてほしいのです。

 

すべての病める人、怖れる人に「安心しなさい、怖れることはない」と伝えなさい。

そして、書きなさい。

これは神からの言葉だと。

 

神は常にあなた方と共に有り、常にあなた方を愛し、あなた方と共に歩んでいることを知りなさい。

 

それでは今日はこの位にしましょう。