それでは始めましょう。あなたのご質問の脅迫神経不安症等の神経症の原因とその対策、治療法に関しての言及です。

 

あなたはいつも考えておられます。

こういった感情はどこから来るのか。その人の本来持っている素質を原因としているのか・・・

例えば過去生の体験から起因するのか、それとも、今生の何らかの外因から来ているのか・・・と。

 

そうなのです。

その人の素質、体験、すべてが原因と言えば言えます。

あなたがお考えの通り、その人の魂には本来、時間という軸は存在しません。

したがって、この地球上での切り口は、魂の問題を検討する際には適切であるとは言えません。

 

つまり、感情、体験、その人の本来の素養、素質、そして、その上に積み重ねたもののすべての総体として学ぶべきもの、

気づくべきもの、償うべきものを考えて初めて何らかのものが見えてきます。

つまり、その人を理解するには・・・つまり、原因を見るには様々な要因すべてを眺望する必要があるのです。

 

さて、そうは言っても、この時間という枠で一つ一つ、区切られ、いわば切られているような一つ一つの世(生)が

これらの精神的、感情的不調和に関わっているとしたら、如何にこの限定された立場から捜すことが出来るのでしょうか。

皆様は、とても・・・そうです・・・非常に限定された立場におられます。

 

例えてみますと、大きな海原に小さな小さな葉っぱのような舟で大波大風を受けながら航海をしており、その海に波立つものを

見て、何故、この波はこんなに荒いのだろうか、高いのだろうかと推察しているようなものでしょう。

この波の高く荒いのは、色々な要因・・・それも、皆様の理解を超えたものによって起されているのを知る由もありません。

これらの不調和を見る時、発せられる原因についての言葉は・・・例えば、「家庭環境に原因があるのでしょう」とか、

「学校でいじめにあったからでしょう」とか、「あの時の事故の後遺症に違いありません」という推察の言葉です。

 

しかし、本来・・・の目的ともいえる原因は、そういった単純なもののために起こっているとは言えません。

大変、説明しがたい・・・申し訳しがたい・・・ものが、絡まったものが深く内在している・・・のです。

それを明言するのは簡単だとしても、一つ一つのケースを説明するのは至難の技ですが、これからいくつかの典型的な例を挙げて

ご説明しましょう。

 

第一の例として、次のようなものがあります。

小さな男の子で、学校でいじめにあったことから学校に行けなくなり、家を出るのさえ怖くなり、引きこもりとなり、家で寝たり起きたり、

ゲームをしたり、テレビを見たり、お菓子を食べたり、好きなことに時間を費やすようになり、家族の言う事にはほとんど耳を傾けなく

なりました・・・という例があったとします。

 

これらのことに関して考えられることは、いくつかあります。

 

まず、彼は疲れているのだ・・・という考え方、

つまり、彼の魂は、この地球上のルールや、やり方に疲弊してしまっている・・・ことがあるでしょう。

魂は完璧ではありますが、外側に現象として出てくるには何層かのレベルを通って、行動として顕現します。

精神的、感情的に、少なくとも、直接、魂の有様を映すことはまずありません。

従って、この際、魂そのものの有様とは異なって映し出されるのは避けられないことではあります。

 

さて、このように地球でのやり方に合わせるのに疲れを感じ始めた魂は、こんな事を考えます。

・・・どうしたらこの環境から、逃げ出せるか、どうしたら少し休んで、自分の慣れ親しんだ、もっと楽しくて楽な毎日を過ごせるだろうか・・・と。

 

そして考えつくのが、自分をあえて、境地に追い込むことで立派な理由を作り上げることです。

 

自分が悪いのでなく、自分を追い込んだ外因のせいにして、自分も周囲の人の目も曇らせて、本当の姿を見せないようにするトリックの

ようなものです。

見せかけの理由、言い訳をつくり、自分も周囲の人も欺くのです。

これが一番多い原因でしょう。

 

それでは、どうしてこの地球のやり方に疲れるのか。

そして、どうしたらこの疲れを取れるのか・・・について、言及しましょう。

 

あなたはもうしばらく地球上に生活し、それなりに何とか対応し、それが普通で唯一の存続のやり方だと思っておられます。

しかし、皆が皆、そうではありません。

新しい新来者にとって、この地球は、まだ見ぬ場所、やっとたどり着いた異国の極のようなやり方、しきたり、生き方としか

思えない場合が多々あります。

 

つまり、これまでやってきた存在方法とあまりに違うため、対応が難しくなり、拒絶したくなる訳です。

そして、参加するのを諦めるようになる・・・とでも言いましょうか。

 

さて、こんな場合の対処方法について言及しましょう。

こんな時、人・・・周囲の人はまず、この子の性格や、周囲に起こっている事に目を向けて、原因はコレコレこういうことに違いない・・・と、

それなりに出来ることをやり、結論づけます。

 

しかし、既にご説明したように、原因はそこにはありませんから、こういった考え方をしていては対処方法も適切なものでは

あり得ません。

 

従って、必要なのはもっと霊的な観点です。

 

これまでに考慮された皮相な現象面からの分析ではなく、もっと内的な根本は霊としての人間存在に目を置くことです。

 

それは如何にしたら可能か、です。

 

それは一言、「霊について、本当の人間の有様について勉強しなさい」に尽きます。

起きている現象の向こうに見え隠れする、本来の魂の存在としての人間を見るのです。

 

それなしに対応は不可能です。

 

さて、こんな事を申しても、「そんな難しいことは、なかなか出来ませんよ・・・現実には・・・」と、思われるでしょう。

 

そうです。

人間は確かにそうした生活を続けておられることで、楽しめたり、ゲームをしたり、体験を重ねられる面もあります。

しかし、心すべきは、何のためにそこにおられるか、です。

あなたのそこにおられる目的は何なのか、もう一度胸に手を当てて思い出されない限り、この深いところに起因するものの

調和を取り戻すのは難しいでしょう。

 

つまり、外側に薬をいくら貼り付けても、内側にはその薬効は届かないのです。

 

それでは、具体的にその魂に関して、霊性に関して勉強し、知った上で、どう対応できるかについて述べましょう。

 

それは、その問題を起している魂に、本来、ここに来た目的を思い出させることによってです。

その子供は、ここに来た理由を忘れてしまっているのです。

 

何故、こんな場所で迷うようになったか分からなくなっています。

ある大きな街の広場に立って、自分はどうしてここにいて、沢山の人の行き交うところに一人たっているのだろう・・・と

困惑した状態の人に、そっと近寄って、

「あなたはどこから来ましたか・・・」

加えて、

「あなたはここで何をしたいのですか・・・」 「何をしにここにいらっしゃいましたか・・・」とたずねてご覧になることです。

 

「あっ、そうだ、誰々さんに会って、一緒にご飯を食べるんだっけ・・・」などという目的を思い出されるでしょう。

そうやって、本来、ここに来た目的を思い出すことで、次に出すべき足の方向が定まります。

どこへどういう風に行くべきか、自分で決めることが出来ます。

 

人生も同じことです。

 

何のために、ここにいるの・・・それもやり方も、まだ分からず、多くの知らない人達が、何だか分からないようなことを

やっている中に突然放り込まれたように感じて、困惑していたとしたら・・・それは、困ってしまうでしょう。

そんな人に、やさしく肩を触れ、

「ここにいらした目的・・・やりたかった事・・・は何でしたか・・・思い出してください」と、一言声をかけてみてください。

 

やがて、思い出し、ゆっくりとではあっても、自分の行くべき方向へ歩みだすでしょう。

 

しかし、言葉をかけられぬ程、眠り込んでいる場合もあるでしょう。

 

家からも出られず、他人とは一切口も利かない・・・というケースも少なくないでしょう。

 

そういう場合、取れるやり方はこうです。

 

あなたが、そこへ行くのです。

「イイエ、彼らは会うことはありません。」

「知らない人に会うことは先ず、不可能です」

と、あなたは思っておられます。

 

しかし、それは外的現象のみに目を置かれているからです。

あなたがそこへ行き、祈り、意識の念を、愛の心を送ることで、その魂に届くことが可能になっていきます。

心の波動は、それ程強いものであるのです。

 

あなたがそこに行くことは、どれだけその人に関心を持っているか、愛しているかを示す大きな手段なのです。

その人に示せる愛のやり方なのです。

その人はあなたに会わないでしょう。話も交わさないでしょう。

 

しかし、その人は思います。

「会いに来てくれたのだ」と。

それで充分なのです。

そして祈るのです。 

そして愛の波動、「あなたを気にしていますよ。心配していますよ・・・」とその魂に、あなたの意識を送るのです。

 

何かが届き始めます。

それによって、その人の何かが変り始めます。

 

それがまず、第一ステップです。

その次に取れるステップは、次回に致しましょう。