それでは始めましょう。今日も愛について語りましょう。

愛は語っても語っても語りつくせない程の深さと拡がりを持った話題です。

昨日の話題は争いを通しての愛についてでした。


今日は愛すること、人を愛するということはどういうことかについて言及したいと思います。

愛する、ということは一体どういうことを意味するのかを考えましょう。

「自分は愛されているか」と考えるために、ちょっとここで立ち止まってみましょう。

勇気を持って、自信を持って、[私は誰からも愛されている」と声を大にして言える人はどの位おられますか。

誰からも・・・という部分が、皆様、少しひっかかって手を挙げることが出来ないかもしれません。


誰からも、というのはとても難しいことです。 自分が周りにいる人達、自分を知る人達から愛されていると

自信のある人はむしろ少ない事でしょう。

それほど、一人一人の愛の形や愛されているという定義も異なりますし、他人から愛されるという事に自信を

持てないからでしょう。


そうなのです。それほど、私達一人一人の心の中には自分に対して自信のない部分、自分は愛されるに足ら

ないのではないかと感じるものがあります。

私達のどこかで、他人が自分に対する評価の中で、自分を愛するには少しここが足りないだろうとか、あそこの

部分はきっと他人に嫌われるところではないか、などと密かに怖れています。

そして、それはもっともなことだと言うべきです。

私達、すべてが未完だからです。

未完ゆえに、完璧な愛に足るとは思えないのです。


でも、決して、それだからと言って、自分が足りないとか、不完全だとか、劣っているとかと思うことは決して

ありません。私達のすべて・・・おそらく、神以外はすべて未完であり、常にどこかで、自分の足りなさを意識せ

ざるを得ない状態にあると思われます。


私達は常に向上を心がけている存在でもあります。

常により良く、より高く、より深く、より広い心を持ち、より多くの愛に満ちる心の持ち主でありたいと、どこかで

望んでもいます。


そのために、常に自分の不完璧さを感じざるを得ないとも申せましょう。


これまで書いてくると、それでは、私達はどこまで行けば完璧だと感じるときがやってくるのか、いつになったら

誰にも愛されると自信を持って感じられるのか・・・という疑問が当然起ってくるでしょう。

私達は神でない以上、不完璧であるとしたら、いつになっても愛される事にも自信のなさを心の中に抱えることが

なくならない存在なのでしょうか。

そうではない・・・と申し上げましょう。


私達は、自分自身をどう見るか・・・どう不完璧さを許し、愛するか・・・が問われているのだと、しっかりここで

見据える事が大切です。

不完璧さを許し、愛する事が必要なのです。

私達一人一人は、完璧さに向かって一歩、一歩、歩んでいる途上にあります。

その途上で、来た道を振り返ると、長い長い道のりが跡にあったのを望むことができるように、前途にも長い長い

・・・見通せないほどの道のりが前に続いているのを認めるでしょう。


そして、私達は、けなげにも、転がっても立ち上がり、つまづいてよろけても足を正し、ひざに土がついたら手で

振り落とし、ひざの痛さに涙しても、また、前を向き、歩を進めています。


これほど、けなげに進んでいるのに、いつまでたっても愛されるの足りないとしたら、何と不条理な事だとお思い

になられないでしょうか。


まったく、不条理ではあります。しかし、どうでしょう。その不完璧さゆえに、他者の不完璧さも許し、それを愛する

ことは出来ないものでしょうか。


すべて、一人一人は違う地点を歩んでいます。

あなたと異なった道を、異なった速度で歩んでいます。誰一人として、あなたと同じ速度で、同じ道を進んでいる

人はおりません。


その他者から見たら、あなたとて同じ事です。不完全な、愛するに充分足る人物だとは見えないかもしれません。

不完全さゆえに、皆が皆を許さず、愛さなかったらどうなるでしょう。いつまでたっても誰も愛し合うことが出来ない

でしょう。


ですから、条件をつけるのかもしれません。

私の夫なら、私の家族なら、私の妻なら・・・私の好きなタイプは・・・私の将来の伴侶はこういう人であるべきだ・・・

などと、心の中であれこれ条件をつけて、自分の中の愛が流れ出るのを許します。まるで運動会の競争のスタート

の合図のように、条件が整ったら、ドンと撃ち、愛が流れるのを許すかのようです。


そうではありません。


人は本来、愛を常に流すことができるのです。

心の中には汲めども尽きぬ愛の泉が存在します。誰が不完全であろうと、条件が整わなかろうと、あなたは愛す

ことができます。


また、愛されることもできます。


それは、自分自身の心一つです。ドンという合図をする必要はありません。

常に愛は、風のように、太陽の光のようにあなたの心の中にあり、常に愛を与え、与えられる事が可能なのです。


不完璧さを問題にしてはなりません。ご自分も不完璧で愛を望んでいるように、他の一人一人が同じように不完璧

さを自覚し、悩み、傷ついている存在で、密かに愛されるに足るかどうかを怖れているのです。


愛し合いなさい。


不完璧さを許すのです。

あなたの不完璧さも許されるでしょう。

お互いに途上ににある旅人であることを思いなさい。

そして、お互いにいたわり合い、勇気づけ合い、歩みを助け合いなさい。そして、愛の一言を付け加えましょう。

その言葉に、出来る限りの愛を乗せて、愛し合うのです。

そうすれば、自分の心にも、他者の心にも、歓びが満ち、素晴しい歩みを続けることが出来るでしょう。

愛とはすべてを強くします。

すべてから解放します。

苦しみや痛みを解き放すのも愛の力です。

それでは、今日はこのくらいにしておきます。

愛を一杯、お伝えします。愛、愛、愛をお渡ししましょう。