今日も愛についてのメッセージを差し上げましょう。

あなたが先日あまり乗り気でなかった「そこはかとない」愛についてです。

まず、最初に補記すべきは、かそけき、そこはかとない、あるかないか明確には捉えられないけれど、そこに在る愛について何故、

私がわざわざあなたのその痛い状態の左肩にもかかわらず、お願いしているかについて少し述べましょう。

今、私の感じずるには、多くのものが、人の心を打つには、強烈なもの、大きなこと、驚かせるようなもの、度肝を抜しょうなもので

なければならないかのように、皆が思い始めているようです。

そんなことはありません。

 

つまり、人の心はそれ程、単純ではないのです。

まるで、心はドラムのように“ドーン”と打てば、その一鳴りで終わりのように思われ、その“ドーン”は大きければ大きい程、

人の心に届き、それも遠くまで響くかのように錯覚しておられるようです。


人の魂の顕現である心がそんなに単純であろう筈はありません。

心のひだ・・・心の山谷・・・そして川や湖・・・しいて言いますと、私の創った自然のように、映し出すものは、複雑で、とても美しいものです。

 

そうです。

時に荒れすさぶこともありましょう。

枯れることもありましょう。

 

しかし、それは、春が来て、美しい芽を吹くサインでもあります。

優しいそよ風がその優しさを訴えた時、あなたが「あ〜、なんと、やさしいこと・・・」と頬に感じるのを右手の指で、そっとなでたくなるための

ものです。

そうなのです。

すべての苦しみが・・・痛みが・・・次に来る成果・・・果物が成るためのものであるように、荒れる自然も、枯れる心も、あなたが其の後に来る

美しきもの、優しきもの、そして穏やかで、何気ないもの・・・一見、取るに足らない、当たり前の、誰も敢えて取り上げるまでの価値を

感じないようなもののためなのです。

 

さて、そういう「かそけき」ものが、今、何故大切かに言及しましょう。

 

かそけきもの・・・この語源をあなたはご存知でしょうか。

私が人であるあなたに向かって、こういう問いを発するのも越権(?!)もしくは、おかしなものでもありましょうが、お許しください。

この「かそけき」という言葉は、元々「神の発する言葉」という意味を持つものでした。

私が、まだ日本に美しきもの、そして、とても微妙で穏やかで、そっとしたものに目を向け、大切にする心があった頃、私がそれを

最も大切なものとして後世にもその心をお伝えしたかったために、この言葉をお伝えすべき概念、響き、意味、用途を考えつきました。

それは、あまりにデリケートであり、荒ぶれた一部の人々・・・いいえ、多くの人々にとっては、あまり介しゃされないものでしたが・・・

わずかな一部の人々には「しっか」と受け取られ、私の意図が「しっかり」伝わったのです。

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(安藤付加:「かそけき」という言葉は高校生時代に古文で学習しただけでしたので、本当にそんな語源があるのかな・・・と
思いながら辞書を引きました。すると、かそけきという漢字は「幽き」だと知りました。
広辞苑・・・かそけき・幽き・かすかなさまである、 幽・・・@くらいこと、奥深いこと A死者の世界、あの世 Bかくれひそむこと)

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それでは何のために、この言葉をわざわざ使っていただけるようにしたのか・・・について言及しましょう。

 

先に申しましたように、「かそけき」ものを感じる心を育てることは、とても大切なことです。

そっと頬をなでるそよ風に心を打たれる感性、そして、小さな赤子の指に、其の子の生命力と愛を感じる力・・・

そして電車の中で、隣に座る人が、そっと腰を動かし、席をあなたのために、もう少し空けてくれる心遣い・・・。

このような「そっとした何、気なく」映るものを通して、大きな愛が表現されているのを感じて欲しいがためです。

 

私がこの地球を顕わした時、様々な工夫、様々な仕掛けを作るのは、とても楽しい、ワクワクするような一時でした。

こうしたら、こう歓んでもらえるだろう、ああしたら驚くだろう、そうだ、ここにはこういうことも隠しておこう・・・

木の裏には小さな秘密の穴ぐらも用意し、その中には金魂も隠しておこうか・・・でも地図は作っておかないゾ・・・というような気持ちでした。

今でも、実は、そういった思いは続いているのを、正直に告白しましよう。

今でも私は、常にこの地球上に色々な新しい工夫、仕掛けを、次々に置いては、ニコニコ、どう見つけて歓んでくれるかに

思いを馳せて・・・私も大きな歓びに包まれているのです。

 

さて、大分、中心がぶれました。

それ程、私の心はあなたを通して、伝わる私の意図を思う時、大きく感謝と愛、そして歓喜に震えるのです。

 

本題に戻りましょう。

 

何故、今、「かそけき」もの・・・かそけきことを理解する心が大切なのか,を言及しております。

そして、その言葉は、元々は私の心を反映すべき用意の一つとして、そっと、私が人々の心に植えつけたものである

ことを、ご理解いただくところまで述べつつあります。

 

つまり、この言葉の語源は、神の命ずる・・・かすかな言葉・・・伝言されるものを拝受する者に必要なデリケートな感受性・・・

を意味するものでした。

それが、様々なひとの手を経ながら、多くの時間をかけて、意味するところも変化、変遷し、今はほとんど使われなくなりました。

残念ではありますが、それも進化の一部ではあります。

 

その代語として、同じような概念を示す言葉は、多く現存しますが、実は私の意図としたものは、そのプロセスでそげ落とされ、

忘れ去られてきたようでもあります。

そのかそけきものに含まれた美しい心、愛がそっと隠されたものを感じる心、ひだ、感受性を今、もう一度みなさまのお心に

取り戻していただきたいと願うと・・・

「アラアラ・・・神サマ・・・あなたサマも・・・全能・・・ではございませんの?・・・オッホッホ・・・」とあなたに笑われてしまいそうですね。

 

そうです。あなたがそこに居られる以上・・・優越すべきは、あなたの選択権です。

私は自分の力を行使するのは差し控えましょう。

 

という訳で、私はこうしてあなたを通して・・・ペンを通して、私の気持ちを伝えていただいているのです。

これもあなたの選択に委ねていると申せましょう。

 

サテ、そんな訳で、この「かそけきもの」はどうして大切なのか・・・にまいりましょう。

「わかっていますヨ・・・神サマ・・・そんなに細かくおっしゃらなくても大丈夫・・・よろしいですヨ」

という声がかすかに聞こえます。

でも申し上げましょう。

 

今、人の心は大きなもの、巨大なもの、力のより強きもの、声のより大きく響くもの、人を驚かすようなもの、

強いては、より怖れに訴えるようなものを通して、人の心を動かそうとするものに、より多くの注目がなされています。

これまでもそうでしたが、ますますそういった傾向が強まっています。

 

大きなこと、強きこと、力のあるものにのみ価値を見出すのは誤っていることを、お伝えしましょう。

大きなものは小さなもの、デリケートなもの、微細なものの上に在るもの・・・つまり、それらを含んでいるからこそ

大きくなることを承知していただきたいのです。

 

大きなものの中には、小さなものが沢山あり、それが構成要素としてない限り、その大きなものがすぐ崩れ去る運命にある

のを承知していただきたいのです。

 

そうです。

あなたの、今、目をやった窓の外には緑が見えて、そこに雨の雫が絶え間なく天から降り注いでいます。

小さく開けた窓ガラスから、少し風が入り、あなたの左の手を冷たくしています。

この小さな、小さな変化、取り上げるまでもない日常の些事に人は感銘を受けないかも知れません。

もっとドカーンと大きなことに、人の心は引き付けられるかもしれません。

 

しかし、本当にあなたを幸せにするのは、そういう小さな事に、幸せや、愛の実在を感受する心なのです。

 

この雨の雫の中に、春の暖かさと、花を咲かせるエネルギー、そして風の中に私のメッセージを聞く者には、

必ず喜びと幸せがやってくるのを、知っていただきたいのです。

夢は有名になることだ・・・とお考えになる人達もいます・・・多くの人に知られ、多くのお金を所有し、大きな家に住み、

多くのものを持ち、多くの人を支配したい・・・と思う心は、逆に、幸せをすくう十本の指の間から・・・どんどんその幸せを

落としてしまします。

手に入ったと思った物を、指の隙間からどんどん逃がしてしまいます。

 

本当に大切なのは、そういう大きなもの、他者から奪い取らずには手に入れられないものでなく、他者と共に分かち合えるもの、

共有できるもの、皆が手に入れられる範囲のものの中に、しっかりと隠されているのを是非見つけていただきたいのです。

 

あなたがそうしてペンを走らせていることは、本当に何気ないことです。

誰もご存知ありません。

このメッセージを読んでくださる方が、少し、時折、気を留めてくださる程度です。

でもそれで良いと、あなたはお感じです。

その心が・・・実はあなたを幸せにさせる源泉だと、気づかれておられるでしょうか。

他者のために、自分を差し出す・・・

「いいえ そんな大げさなこと・・・」・・・ではありません。

そういう小さな事、何気ない事、人の目にも留まらないこと・・・

今の自然を御覧なさい。

あのボタンの花も何と美しいことでしょう。

大きな花びらをピンクに染めて、香気をあたりに漂わせているでしょう。

しかし、その少し離れた場所に小さな、小さな雑草の花が沢山咲いているのを、あなたは目に留められて、その可愛さに

見とれる心を持ちました。

その小さな花があの大輪のボタンと同様、あなたをなごませ、幸せにする力があるのに気がつかれたでしょう。

 

そして、あの小さな雀がチュンチュン鳴くと、朝が来て、

そして人々は「あっ、また夜が明けた・・・光がそそぐ」と思われるのです。

 

そのように、例の枚挙には、いとまがありません。

この「かそけき」もの、この小さなささいなことの中に、私のメッセージが大きく込められているのを、感じていただきたい・・・

それが今朝の運びたいメッセージです。