最近プロテスタントのキリスト教会に通いだし、キリスト教徒になってみようか、という気持ちがおこり、この気持ちは、自分の今まで歩んだどの人生に関係があるのか、あるものなら見てみたいと思った。キリスト教のことは、時々断片的に思い出した過去世でもあり、きっと何か関係があるのであろうと思った。

私:(誘導の)エレベータから降りたら、薄暗いカタコンベです。

(注:カタコンベは地下の墓場であり、古代ローマ帝国時代、1世紀末?5世紀すでに初期キリスト教徒が葬られた)

私は17〜18歳のローマ人の女の子で、キリスト教徒。ここのカタコンベに傷だらけで連れて来られたお父さんを

探しに来ました。 松明を持っていて、迷路のような土の

カタコンベを歩いてお父さんを探している。中に押し込められた人々は、死んでいない

人もいて、体中傷だらけで、生臭い血の臭いがする。 
                                                          
           

苦しそうに唸る声。お父さん、、、涙が止まらない。お父さん、お父さん。。。。

そうしているうちに、ローマ兵が2〜3人やって来ました。見つからないように、逃げなければいけません。 

カタコンベは広いので、左の迷路に入って逃げます。どうやら上手くローマ兵を撒けたようです。

   迷路の先には、外に出る崖があって、その崖からずっと行った先に小さな池がある。自分と同じ位の年齢の男女
が、10人ほどかたまって私を待っていてくれた。みなキリスト教徒で、白い装束を着ている。その中に、私の恋人がいる。その恋人は今の私の夫。背が高く体格がよく、とても優しい勇気ある青年。とても愛情を感じるし、深い絆で対等の立場で活動する同志という感じもする。皆は、父を探せず戻ってきた私を心配してくれている。

   どうやらそのグループは、全面的キリスト教弾圧の対象になっていて、逃げ回っている。今も早く逃げなくてはならない。グループは移動を始める。私とその恋人(今の夫)はそのグループのリーダーのようです。しかし、ローマ兵の方も必死で追ってくるので、とうとう追いつかれてしまう。私の恋人が、捕まって「ユケロ(当時の私の名前のよう)逃げろ、逃げるんだ」と叫び、私を逃がしますが、自分は犠牲になって、ローマ兵と戦い、私を追っかけないようにします。涙があふれて止まらない。彼は、ローマ兵に殺されました。
   

     そして、ようやく逃げて、町、とはいえ迷路のような土埃の道と、土壁の家が立ち並んでいる町に来て、そこで知り合いなのか、ある一家のところへやって来る。夫婦とその甥っ子がいる。その夫婦の甥っ子は、私の今の長男です。とてもかわいい7歳くらいの男の子。恋人、父親を亡くして泣いている私に「パンあげる」と言って、かわいい手でパンをくれる。

    そこへ、ローマ兵たちが、町中の家々にキリスト教信者を捕らえにやってきた。二人のローマ兵が、この家の玄関の戸を蹴り開け、その男の子がこけた。私は、堂々と「私がキリスト教徒です」と言って出て行き、捕らえられる。そこの夫婦もいないが、多分捕まったのでしょう。

   そして、コロッセウムへ連れて行かれて、円形競技場の周りの準備の場所(控えの場所のようで、捕まえられたキリスト教徒は、そこで死刑を待っている)で、他の仲間たちと一緒になる。人数は、かなり多数で、私は、みなに慕われていたようで、私が行くとみなが寄ってきて、人だかりが出来た。みなに「恐れることはない。イエスキリストを否定し、まがい者だと言って偽って生きることはできない。神が守ってくださっている。ちっとも怖くない」と言っている。本当に勇気のある、きっぱりした強い女の子です。面持ちもきりっとしていて、神々しい。行動も機敏で、活動的で、情熱と清らかさが同居したような性格の持ち主で、今の自分よりよほど勇気があって、勇敢ですばらしい。体格も背が高く、女性の割に筋肉体型で、今風に言うと、スポーツウーマンというかんじ。


    そのうち、そこへ捕らえられて来た信者は皆、円形競技場へ引き連れられて行く。ものすごい人数で、競技場の半分が埋まってしまうくらいいる。そして、誰からともなく祈りが始まった。周りでそれを見ている、ローマ人、貴族、皇帝といった人々の異様な興奮と狂気とは対照的に、聖歌を歌い、祈りを捧げていて、波を打ったようにとても静かで荘厳な空気が流れている。


    そうしている間にも、上に檻を載せたリヤカーのもっと大きい車のようなものを兵隊が引っ張ってきて、その檻の中には、ライオン、トラ、豹などが居る。それを見ている信徒は腰が抜けそうな人もいるが、でも抵抗せず死ぬつもり。私に何人かの少女が「怖い」と言ってすがりついて来る。「大丈夫。私がいるわ。大丈夫よ」となだめている。そのうち、トラたちが檻から出てくる。


    私は、そのトラに向かって、列の先頭から抜けて、歩いていく。胸を張って、堂々とトラに向かって歩いて行く。トラの口は、私の顔くらいの大きい口。「私は死ぬのは怖くない。これがキリスト教徒の死に方よ、さぁどうぞ」とでも言いたげ。
トラは、私ののどを噛んだ。でも不思議、ぜんぜん怖くないし、全く痛みを感じない。ローマ兵に捕まった頃から、何をされても痛みという感覚がない。


    その身体から抜けた私は、ローマ兵に対して「人が苦しむのを見て、この人たち何が楽しいのだろう?私たちキリスト教徒を怖がらせよう、苦しませようと思ってやっているのだけど、こちらは全く怖くないし、主に会いに行くことを喜んでいる。その辺の感情がずれていて、ちっとも効果はないのに、ばかじゃない?」(こういう風に思うことは、今の自分のキャラクターと同じ)と思って天に帰っていった。別に、殉死した、と大げさに捉えてもおらず、淡々として、ただ死んだから戻ったという感覚でいる。時代は、3のつく年代。30年ごろか?

 


        
そして、次に思い出した人生は、ちょっと近代に近い1700年代のフランスで、私は男の子の孤児でした。7歳くらいのとき、パンをもらって通りで食べていたら、修道院の神父様に修道院に連れて行かれた。長い回廊を通り、修道院長の部屋へ行った。私には、そこの書斎にある沢山の本がとてもまぶしく、それをうらやましい、全部読みたいなぁ、と思った。修道士たちは、汚い私の体を洗い、修道院の子にふさわしい服に着替えさせてくれた。

   その後は、一生懸命用事をし、勉強に身を捧げ、暇さえあればいつも本を読んでいる、とても頭のいい優秀な子だったようだ。20歳の頃には、医学、語学、神学などをマスターしていて、特に医学に興味を持ったようだ。

                      
   その20歳くらいのとき、自分を拾ってくれた修道院の院長の部屋に呼ばれて、「この修道院の次の院長になってくれ。私の後を継いでくれ」と言われ、その印としてペンダントを貰う。感激しているが、どうも医学が頭から離れない様子で困惑もしている様子。
   
   その修道院は、かなり由緒のある、古い大きな組織で、海に近いフランスの中都市にあると感じる。あるときローマ法王がその修道院を訪問することになる。沢山の修道士のいる中、法王の通訳をして、話を伝えている。その後、オルガン演奏を、芸術家でもある繊細な修道士がしており、それは今のUさんかなと感じる。私は法王の真後ろで演奏を聴いている。その後、私を含めた3人で、海の中に浮かぶ(?)巨大な堅固なお城のような修道院を視察見学している。

  それから、40歳頃。場所は移動してここはローマ。自分は、法王から反対側のウイングに居室を貰っている、教会組織では身分の高い枢機卿かな(?)と感じる。でも、出世とかには全く興味がなく、他の枢機卿たちが、社交を繰り広げている間も、居室でもひたすら医学の本などを読んで勉強している。小姓みたいな若い神父がいて、用事を言いつけたりしていて、今も紅茶(?)を入れてもらっている。この飲み物好きはこの頃からそうだったみたいです。もう、教会組織よりも、違うことに興味がある。医学がどうしても全うしたいみたいです。
   
   そして、次の法王を決める会議です。皆、権謀策略の海千山千の枢機卿が多くて、わたしはうんざりしている。その中で、私は教会の批判をすでにしており、医学に興味と造詣が深くて、異端のような扱いを受け始めている。次期法王最有力候補は、その自分を嫌っている。自分は特に誰も推していない。そして、いや〜な雰囲気の中、私を嫌っている最も理解してくれない枢機卿が法王に決定。その後、すぐローマを立ち去り、フランスの修道院に帰る。

  そこでは、懐かしい故郷で、皆暖かく、「ほっ」とする。ある日、海の中にある修道院を視察に行く。色々と活動をしているようだ。比較的充実した毎日。かつて自分がしてもらったように、孤児の教育を始めたり、貧しい女性子供を世話したり、医術を施したりしている。その孤児の中で、とてもシンパシーを感じる子がいる。この子は今の私の長男です。利口で、まじめでかつての自分を見ているよう。そして修道院で引き取り育てます。

   そのうち、歳がもっと進んだ頃、私を嫌っている法王の圧力か、修道院から出てしまったようです。表面上は修道院の神父たちも、援助をしてはいけないのでしょうが、私はとても人望があったようで、影で多大な援助を受け、とうとう診療所を開きます。教会の片隅で小さく始めましたが、そのうち患者が増え、規模も大きくなり、その修道院の援助で、建物一つを占領して、患者の救済、貧しい母子の支援、治療に当たります。いつも修道院が助けてくれて、神父たちの出入りも多く、そこでみなにキリストの教えを伝えるなど、一つのコミュニティになっています。私は、破門のような扱いを受けたようですが、その時がとても幸せで、これがやりたかったのだ、と忙しく楽しく、充実した毎日を送ります。食べ物も豊富で、みな本当に楽しい。きっと、修道院で神父たちだけで、神に仕えていくというのが、おかしいのではないかと感じて、それを口に出したり、婦女子を助けたりして破門されたのではないのでしょうか。

   今、老いた私は、病気になりました。やはり修道院の援助で、いい病院に入ります。いい部屋で、いつも神父たちが来ていました。もしかしたら、これは病院ではなく、修道院の中の部屋かもしれません。ある日、とても具合が悪くなり、危篤となったとき、息子のようにしていた、神父がやってきて、涙を流しながら、死に行く儀式を行っています。この子は、あの孤児で、今は立派に出世して、地位も高くなっています。

   私の棺が、教会から出て行きます。その後に、神父たちもついて、町を行進します。助けられた人々が、泣きながら見送ります。道に人が溢れ、棺が進まないほどです。ありがとうと言ってくれています。そして、町のはずれの墓地に、一般市民として葬られました。そのお墓には、お花が絶えることなく、いつもきれいなものが飾っています。

   この人生は、とても幸せでした。地位も名誉も求めず、自分の声に従って、修道院を出て、医学をまっとうし、人を助けました。きっと、修道院で幸せだったのと、人を助けたい、という感情で苦しんだときもあったのでしょう。最後は、名誉よりもやりたいことを取って、それに対し、周りの人がみな援助をしてくれました。
本当に幸せな人生でした。

   

その後、セラピストの誘導で、イエス様と一緒のところ、過去世でも魂のふるさとでも、その場所へ行くことになった
  
私:土壁の家で、これはイエス様が生きていらっしゃった頃の自分とその仲間たち。50歳くらいの自分と、仲間と、イエスさまと食事をして、笑って楽しそうにしている。とても幸せだけれども、この後、イエス様が十字架にかかることを知っていて、そのことがいつも鉛のように心を離れず、心から楽しめない。

  そして、そのまま魂のふるさとに行きました。大きなイエス様と先生(安藤先生)と自分がいます。先生とは姉妹のように楽しそう。あまりに大きなイエス様で、私たちはその存在から出ることが出来ず、何をしてもそこに戻り、まるで孫悟空とお釈迦様の関係のようです。その枠内で生きている、という感じ。

        

セラピスト:それでは、この地球に生まれることを決めたところへ行ってください。


私:円卓のテーブルが宇宙空間に浮かんでいて、先生と私がそのテーブルの席に座っています。全部で12〜14人座れます。その窓から、魂のふるさとを見ながら、「今度は帰りたい」という感情で、そのふるさとの方向を見ます。
セラピスト:帰れないのですか?

私:はい。何か事情があって帰れない。

今、先生が、下(多分地球でしょう)を覗きながら、「まったく、あ〜ぁ、助けに行かなくっちゃ」と言って、それこそジャンプをして、その円卓のある空間から、下へ飛び降りてしまった。

ここでは、私と先生のキャラが、現実と反対で、おっとりした私と、切符のいい元気な姉御肌の先生。先生が飛び出て行った後も私は、紅茶(?)を飲みながら、「一人でいるのも寂しいな、つまんないな」と思っている。

セラピスト:それでは、今回の使命は何で、今何をすべきでしょうか?


私:はい、今いつも現れる、例のおばあさんが、白幕の向こうで顔だけを出して、「いいぞいいぞ、その調子」と言っています。ピースサインなんかを送っている。そのおばあさんは、講演をしたりしていて、かなり有名な感じです。それだけで、後は何も見えません。

私:また、人それぞれ得意な分野があって、動と静という違いもあって、それをうまく使い分けて、お互いに助け合っていくようです。

先生は、イエス様のいる空間で、とても楽しそう。今いる現実の先生より、もっとお茶目で、若々しく、楽しいひょうきんなお姉さんという印象。
きっと、向こうへ帰ったら、楽しいのでしょうね。

そして、今の問題の多い実家の家族ですが、今この人生が終わった瞬間を見せてもらっていますが、家族、5人いますが、空間で集まって、それこそ仕事が終わったときのように、「お疲れ様でした〜」って言ってニコニコして、自分の星に帰っていった。5人ともバラバラのところから来たようです。一人として、同じところへ帰った人は居ません。

また私も、この人生が終わったところを見ていますが、「今度はやることちゃんと一杯やったし、うんとほめてもらえるぞ」とウシシ、とほくそえみながら帰っている。まるで小さな子供みたい。一人で宇宙空間を、夕方遊びから急いで家路を急ぐ子供のように帰っている。