これは、ヒプノセラピーの直接の体験談ではなく、前回の修道院、殉死を見たセラピーの後に色々と出てきた追加で思い出したその人生の事と、その人生で見た建物が、私が今世では行ったこともなければ見たこともないのですが、後にインターネットで安藤先生が調べてくださったり、自分でも調べた結果、それが実存のものであることが判明し、新たにそのフォローアップをしようと思いまとめました。
  
 まず、枢機卿になったフランスでの人生で出てきた、「海(?)の中に浮かぶ城砦に囲まれたお城のような修道院」ですが、安藤先生が「島、修道院」で検索をしたら、なんと、フランスのノルマンディー地方に「モン サン ミッシェル」という海の中に建てられた、とても大きな、城砦に囲まれた修道院があったのです。(もう、この時点で、私は寒気がしています)

 私のヒプノの中では、「その町は、フランスの海に近い中都市という感じです」と申し上げましたが、まさしく、その土地は海に面していて、その海の中の修道院は、干潮時に陸とつながり、往来ができるそうです。
 
  ヒプノの中の自分は、ローマ法王や偉い方(カトリック教団の階層はわからないので、申しわけありません)と一緒に二度、引き潮の中を急いで、足元の悪いところを小走りでその建物へ向かっています。私自身、これが人の住める修道院とは知らなかったので、いつも視察へ行っているのか、とも思いましたが、もしかしたらそこに住んでいたのかも知れません。急いで帰らなくては、潮が満ちて帰れなくなったのでしょうか。

  その修道院には、中庭を巡る回廊がありますが、その写真を見たとき、やはり寒気がしました。私が、孤児でパンを食べながら、修道士と歩いていたあの回廊、そして数々の天啓を受けたり、思索をしたあの回廊が写真の中と自分のセラピーの中と全く一緒でした。


  思えば、名前も色々と不思議な過去からの刻印がされているのかも、と思います。
私は、「みち」という名前ですが、これはローマ字で書いて、一番近い外国名に換えると、「Michi(ミッチ)」で、これは、
「Mitchelle(ミッシェル)」の通称です。よく外国に住んでいた頃、ミシェルとか、ミッチとか呼ばれました。今から考えると、とても不思議です。

  また、海の中に浮かぶお城ですが、小さい頃からよく、「湖に浮かぶお城」を眺めている夢を見ました。少女の頃のロマンチックさで、「あぁ、私は前世、このお城のお姫様で、意地悪な継母に追い出された」とか思いながら、想像に浸っていました。それは、よくよく考えると、この「モン サン ミッシェル」ではなかったのかと思います。

   そして、今度のセッションで二つ見た過去世のうちの最初のもの、ローマ人の殉死をした女の子ですが、円形競技場の中で、トラに噛まれたとき、本当に痛みがなかったのです。今まで、死ぬときの痛みを思い出し、セラピー中でもお腹をえぐられた痛みを追体験したりしましたが、今回は、全くありませんでした。あの時殉死した沢山の信者も、実は痛みを感じず、喜んで主の元へと旅立ったのではないでしょうか?

  よく、踏み絵などで殺された人をかわいそうだと歴史では評し、悲しみますが、当の本人たちは、実は嬉しい思いで旅立ったのではないのかしら?と感じます。嘘を言って生き延びることがイヤで、また主に会ってみたいというワクワクとした期待感で一杯でした。ですから、ローマの圧政で虐殺されたキリスト教徒は、意外と幸せな思いで、逃げずに自分から「私がキリスト教徒です」と言って捕らえられ、死に従った、とも思えます。

  話を再びフランスの修道院に戻しますが、そこにはローマ法王の支配がそれほど強力に及んでおらず、住人たちは、それよりもむしろ、フランス人としてのプライドと宗教観を持っていたように感じました。わたしを助けた修道士、神父たちも、イタリアの法王庁からの命令に従うよりも、フランス人としての誇りを大切にしたような気がします。
政治と宗教が入り混じった都市、という印象でしたが、その頃のノルマンディー地方の歴史を調べると何かわかるかも知れません。残念ながら、フランス語ができないので、出回っている翻訳書物でしか無理ですが。

  また、職業で面白い傾向を発見しました。私は、もう7〜8回ヒプノセラピーを受けていますが、その中で職業に対する傾向が見られました。

  まず、女性として今世でも私は、いわゆる「職業」というものを持っています。女性ならば、ここでいわゆる「キャリア」というものを持つ、持たない、の選択をしますが、今回[持つ]選択をしました。そして家庭を持っていて、とても忙しい人生を送っています。
  
   初回のヒプノセラピーでもやはり、教師という職業を持った家庭婦人でした。17世紀後半の頃ではとても珍しかったでしょう。
  その他の人生は、紀元0年頃のイスラエルでの通訳、今回のフランス修道院での通訳的業務、今世の職業も通訳、と最低計三回は通訳でした。友達は、「何回生まれ変わっても同じことやっているのね」と笑っていましたが。後、空軍パイロット、政治家、軍人、と大体「はっきりとした」職業に就く傾向があるようです。今までのところ、商売に携わっていた人生は見ていません。自分の性格、傾向を見ると、上記職業が「好き」で、高校生の頃、女性パイロットになりたい、と真剣に思っていました。
   
   ここで言いたいのは、各々魂には、やはり「癖」があって、あるパターンが必然的に生まれるということです。商売が上手な魂は、それに専念して、そこで触れ合う人々を商品を売ることで喜ばせてあげるとよい、またスポーツの才能の傾向がある魂は、そういう身体をもらって、皆をエキサイトさせてあげればよいのだ、ということです。何度も経験をしてきているので、勝手も分かっているし、すぐに上達するのではないでしょうか?
私自身の語学がそうでした。きっとセラピーで見ていない他の人生でも何度も言葉を伝える、という役割を担ってきており、その経験で、外国語を学ぶことが早くできる、そしてそれを母国語で伝えることのコツがわかっているから、すぐ出来るようになる、それだけのことではないでしょうか?

   きっと、ヒプノセラピーを見ることで、今の人生の職業について悩んでいらっしゃる方も、自分の隠れた才能に気づき、答えが出るのではないでしょうか?また、職業を持つ、持たない、の選択も、自分に合った傾向が分かるのではないでしょうか?
  
   また、ヒプノから、隠れた自分の「強さ」も見えてきます。いつもセラピーの後で思うのは、「こんなつらい過酷な人生にも幸せを見出せたのだから、今回の平和な日本で、幸せを感じないほうがおかしい」ということです。今の時代は、昔の貴族のような生活を一般人がしています。その中での問題は、「生死」に係わる事はほとんどないでしょう。本当に、今までの「悪条件」が取り除かれた状態で、「さぁ、お前は今回こんな平和で、何でもできる国で、どうするのだ」と問われているような気がします。

  なんだか取りとめの無いことを書いていますが、いつもヒプノセラピーで思うことは、こんな小さな自分がいる、そして愛して、精一杯生きて死んでいった自分がいる、それが思い出せて、よかった、ということです。どんなに小さなこと、例えば「オムレツが好き」ということでも、その原因は過去の人生にあります。(モン サン ミッシェルではオムレツは大切な料理だったせいでしょうか、とても美味しく作る人が多かったようで、今でもオムレツが名物となっているそうです。)
一々それを確認する必要はありませんが、後で自分の見たヒプノの過去に出てきた町、時代を調べると「はっ」とすることが多いのです。

  過去の集大成が今の自分。
さぁ、その過去の自分の人生経験をどう活かして生きるか、これをまだまだ思案中です。